「なんとなく、つまらない時代になりそうですね。」
ケネディの死後一年、ようやくジョンソン路線の輪郭がはっきりし、フルシチョフがブレジネフによって代わられたのを見て、ある学生が私に言った。
私は答えた。
「偉大な指導者が輩出するのは、むしろ異常なのだよ。」
確かに政治は巨大な歴史形成力を 持っているし、それは二十世紀において如実に示された。しかし、それは巨大な石うすのように、価値あるものをも同時にひきつぶしてしまう。また、それは巨 大な樹木のように、その下に植物を繁茂させない。ナポレオンはかつて、「偉大さ、それは悲しいものだ」と語った。確かに、偉大さを求める当人にとって、そ れは悲しいものである。偉大な指導者はいつの日にか、つまらぬ人々によって打倒されるからである。しかし普通の人間にとっては、
「偉大さ、それは恐ろしいものだ」
ということができるであろう。それは普通の人間を彼には異質の論理とスタイルに巻き込むからである。それゆえ、人はよく偉大な人間を引き下し、彼の欠点をあばき立てて、彼もまた同じ人間であるという心理的保証を得ようとする。
しかし、それほど愚かで、かつ危険なことはない。なぜなら、
「偉大さは、やはり輝かしい」
からであり、人は「輝かしいも の」をつねに求めるからである。だから、偉大さを簡単にけなす人々は、また、偉大さに簡単に魅せられる人々でもある。偉大さは、その輝きと、恐ろしさと、 悲しさを真に理解することによって、初めて克服することができる。また、そうすることによって平凡な政治の価値を認識することができる。平凡な政治はさま ざまな偉大さを生み出すのである。
「平凡な時代」の始まりに当たって、二十世紀の平凡ならざる政治家の最後の人々を描いたのは、以上のような気持ちによるものである。それは英雄待望論ではない。





